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 とが              [近藤 武]


 神戸の利賀川の劇的な増水と、富山の利賀のニュースが続いた。神戸のニュースを聞いている時に、利賀とは「とがめる」の とが から来ているという知人の言葉を思い出した。これについての真偽は知らないが、なんとそれは次に報じられた富山の利賀についての話だったので、しばし不思議な感覚を覚えた。偶然だが、個人的にはこれは天からの 「とが」 であるというメッセージのように感じられた。

 温暖化によってまずもたらされるものは 度を越えた暑さだが、これから怖いのは乱暴な嵐だと思わせる。 やっている事と それによる影響は たいていの場合、正比例にはならないし 何とも言えないが、これからさらに覚悟が必要なのかもしれない。
 世界のどこを見ても正面からがっぷり四つに組んだ姿勢は見当たらず、そもそも我々は気候のメカニズムをもっと知る必要がある段階だからだ。




共通テーマ:ニュース

引っ張る サッカー              [近藤 武]


 「サッカーの日本代表が、ユニフォームを引っ張るようになった頃、、、、」 
という表現がある。

 今日では何台ものカメラを駆使し、綺麗なスローやら、アップの抜きがサッカー中継に入るようになり、実際 選手が何をやっているのか 茶の間でも知れるようになった。
 あからさまなユニフォームを引っ張る行為に、唖然とされた方も居るのではないだろうか。 少し前の日本代表チームは、相手国の選手にそのような行為を受け、しかも審判がそれをファウルとしてとらなくても フェアプレイを貫いたという。 「ずるさ」が足りない。 日本のサッカーは、しばらくそのように言われ続けた。 

 ルールブックには書いてあっても、いちいちファウルをとっていては試合にならないとして、ある程度 審判には黙認されている行為。 それを当然のごとくやるチームと対戦するなら、審判が見解を変えない限り、フェアプレイに徹するチームの勝ち目は無い。 だから我が日本代表もある時を境にして、大きな声では言えないが、それをやるようになった。 どうもそのようだ。



スポーツ選手のカメラ目線              [近藤 武]


 スポーツ選手が、カメラ目線を見せるようになったころ。 いつ頃かはっきりしないが、かなりの望遠と思われるグランド、フィールド、リングから、彼らははっきりとカメラに向かって目線を送ってくるようになった。 かつては無かった事だと思う。 意識、しているのだ。

 芸能人、というのがある。 日本独特の、出世のあり方だ。 カテゴリーチャンピオンが、無差別級のチャンピオンになるような、このおかしさについてはまた別項にするとして。 よく分からないこの職業を もし一言であらわすなら、テレビに出る人、という事かと思う。 この意味で、有名人カテゴリーの 長島、王も同様であるし、アナウンサーでも同様の事になる。 

 つまりは放送にのる時間とその視聴率との積、がポイントだ。 最終的に人々の心にどれだけ存在感があるのかが勝負になるが、出たら勝ちの部分があるのかと思う。 それに個人のキャラクター、言動の部分が加わって。 大物芸能人などというのは、人が Organization 格 に成り上がったものに見える。 

 80年代、もう一つ アイドルブーム というのがあった。 一応、歌ということで出てくるわけだが。 中にはひどいものもあり、ついには登竜門としてグラビアアイドルだ。 芸能界と言うのは、ここあたりから変容したように思う。 やがてスポーツ選手が引退後、芸能人を目指すようになった。 仕事として、美味しいんだろう。 そして現役時の実績に、必ずしも合わない上がりかたが見られるようになったと思う。 どうも試合中のカメラ目線が、あまり好きでない。
    



誰が通るか分からない道              [近藤 武]


 ダウンロードとインストールの違いは、ネットに繋いで出来るかどうか。 ダウンロードだけが出来ると考える。 つまり、誰が通るか分からない大通りに家があるように例えられるネット接続は、その間だけされればいいと思う。 みなネット常時接続 使い放題に、麻痺させられているのではないか。 個人情報のデジタルデーターは、想像するに無くならない。 集まっていく一方だ。



リアルタイムでテレビを見る、危険性              [近藤 武]


 HDD レコーダー が出てきてから、本当にリアルタイムに放送されているテレビを見る事は稀になった。 DVD レコーダー というが、HDD(ハードディスクドライブ)にDVD がおまけでくっついたようなものだ。 個人的にはそう思っている。 
 ビデオテープデッキの時代も、テレビは録画して見るように努めたが。 HDD になって、ストレスが無くなった。 つけた時にたまたまやっていた放送が面白そうなら、すぐ録画すればいい。 9.11 や 3.11 発生時のように、そのまま生で見るべきものは、そう多くないはずだ。 

 音声付早送り再生や、CM飛ばしをしながら。 あれ?いまこいつ何言った? というところは、何回でもじっくり聞きなおす。 音声に二次元動画が合わさったテレビメディアというのは、活字では伝えきれないところを伝える。
 
 末端 視聴者が、録画して見るのかリアルタイムで見るのか、そもそも録画する方法を持っているのかは。 放送を流す側にとっては、大変な違いになってくるはずだ。 リアルタイム(いまやってる放送を見る)でしか見ないと、下手をすれば隷属させられるように思う。 

 どこに隷属させられるのか? テレビ局と、そのCMを取り持つ 広告代理店 、そこにつながる企業群。 経済の法則に従う組織、 Organization 格 の群れだ。 
 テレビメディアは第二のアトミック・ボム 、愚民を洗脳し牧民するためのツールということだ。 


参照:
《 第二の アトミック・ボム →  テレビ 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2011-04-13-2



 円高 #2              [近藤 武]


 戸惑う事がある。 経済で争っているはずだった。 まあ、競争というやつである。 その価値、通貨自体が高いのは、一にも二にも 有利な事では無いのか? どうも、素人には分かりかねる。 円高を生かした経済モデルというのは、なぜ? 日本の専門家から出て来ないのだろう。 奇説でもなんでもなく、ありそうな気がするが。 



ベトナム戦争と " The Rock Music "              [近藤 武]



 レコード、放送といったメディアを使って。 1955 年、昭和30年に産声を上げた " The Rock Music " は凄まじい社会的影響力を持つようになった。 King Crimson, Led Zeppelin, Chicago, Yes などが世に出てきた 1969 年を、このピークと言っていいだろう。 

 The Beatles の アルバム、Let It Be、 Abbey Road。 King Crimson の In The Court Of The Crimson King。 The Rolling Stones の Let It Bleed。 などなど。 彼らの達した境地と、現在はやっている音楽とは。 全くの、別物である。 いまのは、コマーシャリズムが作り出した張りぼて、みたいなものだ。 

 考えれば、1969 年を ビッグバンのようにむかえたあのムーブメントは 65 年あたりから始まり、75 年に終息した。 奇妙にインドシナ半島への米国の介入、つまりはベトナム戦争の期間と一致する。 ウッドストック をやらかした、" The Rock Music " のパワー。 我々がいまもあい対峙する、巨大な化け物とがっぷり四つに組み合っていたような気がする。


参照:
《 軽井沢で自転車に乗っていた John Lennon 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2010-05-10



アナログとデジタル              [近藤 武]


 時計を見て、アナログとデジタルの違いを思う。 両者、相譲らず。 ゼロと1、あるかないか、Yes or No で 現実を表わそうとするデジタルは、手軽にそこそこのものを提供する。 録音の技術で言えば、あのビデオレコーダーの音声に採用されていた FM 変調によるハイファイ録音というのが、かなりのものであったような記憶もある。 もとより、昨今アナログ盤と称される LP レコードの素晴らしさを思うにつけ、デジタル万能に懐疑的だ。
 
 棒グラフの幅をどれだけ細く出来るかでいくデジタルは、あくまで現実の近似値だろう。 きれいなサイン波を カクカク した棒グラフで、そううまく錯覚させられるものか、と思いきや。 CD の技術などをみれば、あっけないほどの進歩がデジタルに勝利をもたらしている。



追記:
 アナログの音に常に求められたのは、シャリと輪郭のはっきりした低音だった。 FEN をわざと少し周波数ずらしてシャリシャリいわせて楽しんだものだ。 FM が出てきて、正直ぶっとんだ。 この方式は今も変わらないと思う。 アナログの FM 変調。 しかし、デジタルはそこに簡単に応えた。 
 


Natioinal / Audio Program Timer - TE 98          [近藤 武]


 National ブランドで発売された、電光デジタル表示の 電源タイマー機能付きの時計が。 素晴らしい。

 1970 年代当時、デジタル表示の時計は。 パタパタ日めくりカレンダーを落とすがごとくの機械式と。 Canon あたりの得意とした電卓の初期の表示に代表される、電光掲示だった。 時刻のデジタル表示(数字表示)が、新しくてかっこ良かった。 
 機械式は当然、可動部にがたがきて絶えたが。 National Audio Program Timer / TE 98 という電光式の時計は、いまだに数秒の狂いもなく我が家の朝を告げている。 

 当時、FM 放送では。 貴重な来日アーティストのライブなどよく放送していて。 それを聴き逃がすまいと、タイマー機能対応のカセットデッキなど連動させ留守録していた。 こんな電源タイマー機能付きの時計を。 チューナー、プリメインアンプ、などとおのおの並べ。 悦に入っていた時代を、思う。 


追記: 2012.10.3
 夏前から、カチカチと リレー の接点が動くような異音を発し始めた。 気になるので、タイマー オンオフ のレバーをいじり、 manual on ( 常時電源オン ) でその異音が止まることを突き止めた。 Sony のラジカセに繋ぎ、ラジオの放送を目覚まし代わりにする使い方は絶たれてしまったが。 時計機能は、すこぶる健在である。 


参照:
《  世界経済戦争  》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2010-11-14


 Whitney Houston Passed Away              [近藤 武]


 ホイットニー ヒューストン が亡くなった。 まだ50歳前という事で、その才能が惜しまれる。 ディオンヌ ワーウィック の従姉妹というその血筋の良さと、90年代を代表するような力技の素晴らしさで、印象深い。 

 彼女はまた グラミー賞 によく似合った。 他意は毛頭ないが、65年ころから始まり75年に幕を閉じた、あの69年をピークとする The Rock Music に対し何の評価も即座に示し得なかった グラミー賞 は、彼女のころには正常に世界賞としての機能を果たすようになっていた、という事だろう。 

 重度のうつ病患者による自殺が積極的自殺とすれば、世間的には自殺とカウントされない消極的な自殺もあるのでは、と思う。 早逝の何割かは、それではないか。 生きたいという気持ちと自傷行為が、せめぎ合う。 むしろ、まともな人であればこそ、大なり小なり持つのではないかと思われる感覚だ。 

 

やばいもの              [近藤 武]


 ホイットニー ヒューストン (Whiteny Houston) は、彼女自身 薬物の使用を認めていたらしい。 ジャニス ジョップリン (Janis Joplin) 、ジミ ヘンドリクス (Jimi Hendrix) 、ブライアン ジョーンズ (Brian Jones) 、ジム モリソン (Jim Morrison) 、キース ムーン (Keith Moon) 、近年では、ジェフ ポーカロ (Jeff Porcaro) 。 若い感性に受け入れられるアーティストと薬物の噂は、枚挙にいとまがない。 

 イスラムの教えでは、アルコールを禁じ 大麻をよしとする。 こう聞いた事がある。 少し、驚いた。 WHO(世界保健機関) 的に言えば、酒も大麻(ハシシ)も、また煙草(ニコチン)も、薬物である。 文化、という事だろうか。 

 アルコール、タバコ、麻。 ところが、コカの葉にサボテン。 ケシに麻黄。 近代科学テクノロジーで抽出したところが、大いにおかしくする。 あげく、化学式にしてしまった。 

 酩酊や恍惚というのは、死に繋がるものだと聞いた事がある。 眠りも、また同様だ。 これをどの程度どう許すのかは、文化マター、民族マターだろう。 コカの葉をチューイングするインディオ 、 眠りとは程遠いらしいが。 また、水パイプでハシシをたしなむ イスラム紳士 。 

 近代科学テクノロジーのもたらしたひとつの側面として、ケミカル系というべき薬物の問題があるように感じる。 このような純度の高い薬物が手に入るようになったのは、ここ何十年の事だろう。 あげく、合成したりして。。。  白かったり結晶してたり、錠剤だったり。 そんなのが やばい ということだ。 



 Daydream Believer              [近藤 武]


 モンキーズの " Daydream Believer " 、このヒット曲を歌っていた Davy Jones が亡くなった。 これもまた 66歳 という若さだ。 
 イギリスのビートルズに対抗して、アメリカが言わば人工的にオーディションで生み出した モンキーズ 、そう聞いている。 ビートルズとの違いは、代表曲の作曲が外部であることだった。 これは、音楽を少しでもやった人間であれば分かると思うが、大きな違いがある。 

 ホリーズ の バス・ストップ に匹敵するような、ポップスの名曲。 ”デイドリーム” (Daydream Believer )。 この作者である、キングストン・トリオ の ジョン・スチュワート。 彼もまた、最近 亡くなっていた。 自身で歌うデイドリームに、涙ぐんでしまう。 カントリーミュージックとは、かくも懐の深いものなのか。 

 チームで作り上げた、この仕事に。 最大級の賞賛を送りたい。 最大級の感謝を込めた、賛辞だ。 "Daydream Believer" を、多感なあの時期に聴くことが出来て、幸せだった。 甘酸っぱい思春期から青春期にかけての思いを、このように見事に表現した曲があろうかと思う。 特筆すべきは、全く英語の分からない者にも伝えるべきものを伝えた事だ。 

 モンキーズのこれを聴いて、また感極まる。 俺たちの大好きな アメリカ が、そこにある。 



商業だけが残った              [近藤 武]


 1965 年から、1975 年までの。 " The Rock Music " のムーブメント。 あの、ベトナム戦争と重なる。 その頂点にあった 1969 年から 1970 年。 ビートルズが解散し、最後のアルバム " Let It Be " を発表した頃だ。 クレッシェンドとデクレッシェンド。 

 先鞭をつけたのは、ビートルズ ( The Beatles ) だった。  イギリスでは 1962 年に始まっていたようだが 1964 年にはエドサリバンショーに 鳴り物入りで出演し、全米 Billboard 。 つまりは世界を、Pop Music で征した。 

 多重録音の芸術というべきところまで行く、アナログ 16 チャンネル マルチ録音。 アナログの LP 盤、アルバムと言う芸術作品。 2 チャンネル、つまりはステレオなら 「同時一発録音」 から彼らは先頭を走り続けた。 このムーブメントは 1975 年、クロスオーバー・フュージョン、ディスコ、ブラコンなどと、スタジオミュージシャンによる A.O.R. 、ヘビメタに分裂する。 

 さて、この頂点にあった 1969 年、たとえば Woodstock Festival の気分でいえば。 原発はどうだろうか、消費税はどうだろうか。 公務員改革はどうだろうか。 防衛はどうだろうか、外交、貿易はどうだろうか。 John Lennon は、1980 年 凶弾に倒れたが。 もし話が聞けるのなら、それらについて訊いてみたい。 

 商業といえば、近代科学テクノロジーに支えられた商業そのものの 商業音楽ビジネスが。 たぐい稀にも、多重録音芸術のピークと時を同じくする。 しかしそれから四十年も経てば芸術も、哲学も消えて。 つまりは商業だけが世界を、覆いつくすのか。  


参照:
《 ベトナム戦争と " The Rock Music " 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2011-11-07


タグ:1969

君が代              [近藤 武]


 君が代は、日本の歴史に比べれば 思いのほか新しく。 明治期に入り、西洋のスタンダードに合わせて国歌を持ったということだ。 初代のものは西に迎合した、いまのものとは似ても似つかないものだったように思う。 

 あらゆる国歌のなかで、音楽的に 君が代 は 別格 だ。 雅楽の響きがある。 ドイツ、そしてフランス。 ロシアにイギリス、アメリカ。 国歌に名曲は多くあれど、君が代 は 別格 だ。 

 妙なことに、雅楽の編成で聴いた事が無く。 独唱は、余程の適任者でなくては任せてはいけないと思わせる。  本来、心静かに 聴く べきものではないかと思う。 



官邸デモ 2012.7.6              [近藤 武]


 蒸し暑く、バラバラと振る雨の中。 原発再稼動反対の官邸デモ。 丸の内線、国会疑義堂前で降りると。 警官やらカメラを構えた人達など、物々しい。 1、2、3、4とある地上への出口の4番だけを使ってくれという。 しかしそこは階段に人が溜まって出られない状況だ。 この出口を一ヶ所にした理由を現場の警官に質すと、「安全の為」という。 誰の安全か?と、少し警官を見返す目が、きつくなってしまったかもしれない。 いずれ、彼は指示に従ってやっているだけだっただろう。  

 また改札をくぐり、赤坂見附から地上に出る。 溜池方面に歩き、溜池交差点を左に折れる。 東芝EMI が、懐かしい。 この道に入って、それらしき人の含有率が突如上がる。 混んでいる方を避けながら横断歩道のあるところで道を渡りながらしていると、財務省。 外務省、国交省、文部科学省の何やらと続き、ちょうど仕事帰りの職員と多数出くわす。 黒塗りの車も、点々と待機する。 国税庁の前では、門構えも警備の数もよく、思わず立ち止まって表札看板を確認してしまった。 国家公務員として見てまず間違えのないその人たちは、みな上着を持たずノータイだった。 地下鉄、霞ヶ関の出口近くではまた急に、デモ関係と見られる人が増える。

 左手に国会議事堂が見えたので国会正面に向かうが、左は混んでいるので右回りに行く。 官邸方面から聞こえる何か人が騒いでいる物音を軸に左に折れると、少し静かな坂道になる。 しばし聞き入る。 逆方向にやや強い人の流れが生じたので、角に立つ警官に訊いた。 官邸前に行くには、国会議事堂を左周りに進んで向かうしかない、として。 前回は人があふれてぐちゃぐちゃになってしまったので、今回はもうばっちりと。 と、覇気のある答え。 

 さて、彼らの目論見どおり車道に溢れることなく、歩道のみで人を埋め尽くすとして。 今日は国会議事堂を囲み、少し財務省ぐらいだっただろうか。 これが霞ヶ関の全省庁を囲み。 虎ノ門あたりまで人で溢れたら、どんなにいいか。 と、思う。 


子供、この例えようも無く 可愛らしいもの。              [近藤 武]


 蒸し暑い七月の第二金曜日、今日のハイライトは国会議事堂に向かう道の左側で見掛けた、可愛らしい二歳くらいの幼児だった。  毎週金曜日に行われている官邸前、原発再稼動反対抗議デモは、六時過ぎに来てもせいぜい国会議事堂前だという盛況で、議事堂右側に居た主催者側の女性整理員は、官邸前に行くには五時半ごろ来ないとと言う。 今日は国会議事堂なら、今度は霞ヶ関あたりも取り囲めばいいと言うと。 そうですねと、覇気のある答え。

 その後渡った議事堂前の反対側に居た、ついぞ実態は見えなかったものの近くで聴けた打楽器軍団は、ちょっとした盛り上がりを見せていた。 原宿の竹の子族が、少し頭良くなってかえって来たような妄想も走る。 キューバ音楽のクラーベ にしては東アジア訛りが強いなどと、いやらしい元ミュージシャン気質で聴いていたマーチングバンド風の一群。 風船を配っているあたりで止まり、それをややヒッピー風の若い夫婦に抱えられた幼児が見ていた。 近くに立ち止まって聴いた。 打楽器はいいなと思う。 

 風船を指に巻きつけた幼な子は、例えようも無く 可愛らしかった。 どの国の子供も可愛いが、やはり日本の子供はとりわけ可愛い。 などと言えば。 批判を受けるだろうか。 かけがえのない日本の子供。 彼らの為にできることは何なのか、七十年安保では中核をなした 団塊の世代 が頂点を極め そろそろ引退をしようかというこの時期。 五十代、六十代の人たちはそこを真剣に考え行動するべきだ。 


報道ステーションに古賀茂明氏          [近藤 武]


 熱帯夜と真夏日が続き、やや暑さで参っているところ。 テレ朝の報道ステーションに出演する、古賀茂明氏を見た。 まず尖閣、竹島についての話があったが、前日出演した三人の各分野専門家によるぼやけた話との差に驚く。 この違いは何なのか考えたが、地位や立場を失わんとするものと我々の違いなのだと言えるのではないか。 国際化の中での経済産業にかかわって来たというところで、自ずと外交にも繋がる感覚をお持ちのようで。 頼もしく感じる。

 そのあと、原発の廃棄物処分の問題にトピックが及ぶ。 その通り、第一義に廃棄物の最終処分が解決しないまま続けられる原発はおかしい。 その上、福島を経て早くも再稼動する日本は、いまや先進国の名に値しない。 もしたとえ仮に自分の前を進む者がいなくても、堂々わが道を進むのが先進国というものではないか。 

 やや直情のところもある古館氏との相性は、抜群に感じた。 この局も、昼間の芸能ネタなどに古賀茂明氏を付き合わせ、飼い殺しのような事をせずに。 こうして、しっかりと話をさせたらいかがか。 


大河ドラマとタルカス          [近藤 武]


 高校時代 初めてやったバンドが、タルカスのコピーバンドだった。 エマーソン、レイク、& パーマー、 ELPのセカンドアルバムのA面を飾る組曲だった。 これが今年 2012 年、平成二十四年の大河ドラマ、清盛でつかわれている。 隔世の感を持つ。 1970年代初頭、我が日本ではタルカスはおろか、ビートルズでさえ音楽教師は認めず。


追記:
 まだ十五歳の年でありながら G.F.R. の後楽園、Pink Floyd の箱根アフロディーテに行き、得体の知れない力に突き動かされていた。 十六歳になった。 校内で不謹慎にも「喫煙室」と呼ばれる小部屋に楽器が置いてあり、それを無断でいじり 仲間と G.F.R. の真似事をしていたら。 楽器の持ち主である先輩に見つかった。 手酷く怒られると思ったが、「どうぞどうぞ、君らの学年にはバンドが無いから自由に使って、バンドをやればいい。」と言われた。 それが五月末、体育祭の頃である。 その先輩はビートルズのコピーバンドを率いて、学園祭の華だった。
 その先輩から七月になり電話がある。 演奏経験が無いのを承知の上での、二か月後の学祭への出演の誘いだ。 「タルカスをやる」という。 ビートルズのコピーバンドに加えて ELP のコピーバンドをやると言う。 少し迷ったが、展覧会の絵にはもちろんのことタルカスに心酔していたので、「やります」と答える。 
 
 

いいにおい             [近藤 武]


 浅草から上野にかけて歩いている時に、えも言われぬ よいにおい に心を動かされた。 近くに行ってみれば、それは昆布問屋の大量に置かれている昆布の山だった。 それから、わかめちゃん の袋をまるでシンナー遊びのようにふくらましては吸った。 心の芯に沁みるような、いいにおいなのだ。

 古典的には シャネルの五番。 バブルを経験した者なら、カルバンクラインのワンなどを思うだろうか。 いにおい とは、これまた非常に個人マターなのだと思う。 しかし、昆布 わかめの、あの芳香。 旬のピーマンを切った時の匂い。 冷やしたトマトを等分する時の、匂い。 ベイリーブスやバジル、胡椒の匂い。 しんとした森の匂い、朝の高原の匂い。 昭和三十年代の農家の土間に入った途端に襲ってきた、わらベースのえも言われぬよい匂い。 木材を切り刻む製材所の匂い、精米所の匂い。 これこそが、いい匂いなのではないのか。



追記:
八十年代の輸入盤レコードを開けた時の匂い、七十年代 スッコチのオープンリールテープを開けた時の匂い。 


 いちご白書              [近藤 武]


 平成二十四年(2012 年) 八月十日、夏の盛りの金曜日。 渋谷で所用を済ませると、時刻はすでに六時を回っていた。 銀座線の改札に向かうと、いつにない人混みでごった返している。 若い浴衣の女性が多い。 すぐに、花火大会だろうと思った。 電車に乗ると混雑はそれ程でもなく、座ることができた。 正面には、浴衣姿のかわいらしい娘さんと大学生くらいのカップル。 「みんな花火大会に行くのかな?」 と話していたその娘たちは、外苑前で降りた。

 その日は、ついに消費増税法案が参院を通過した日で、国会方面に向かいながら国税庁を含む財務省の建物を、ずっとにらみつけてしまった。 昼には、韓国大統領の竹島上陸パフォーマンスがあり、夜中にはオリンピックのサッカー三位決定戦が日韓で行われた日だ。

 まるで花火大会と週刊誌で揶揄された原発再稼働反対デモだが、大いに結構。 世の中を変える何かを、女性たちは持っている。


参照:
≪ 世の中を動かす、美意識 ≫
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2010-12-07


通天閣              [近藤 武]


 かつて、仕事で頻繁に訪れていた大阪。 八十年代だったか、時間が出来たので、大阪の JR 環状線 に乗った。 いつものキタとミナミ、梅田や心斎橋でない大阪を観たかった。 山手線に、小ぶりながらも匹敵する円の下に 天王寺駅がある。  ここで、なんとなく降りた。 通天閣を目指すと、動物園があった。 カルチャーショックにアドレナリンを高くし、 殺伐、荒涼 といった言葉が浮かんだ。 

 L.A. や ニューヨーク 以上のものを感じながら、通天閣のたもとに着いた。 スーパーの二階にある衣料品売り場と、地下の食いもの屋を。 えらく下世話にしたような、商店街が続いていた。 足立ナンバーのエリアに行った時のインパクトを、思い出す。 

 新幹線を降りればホームや改札口に待ち受けるスタッフが、タクシーまで荷物を運びましょうと手を伸ばしてくる仕事で行っていたので。 いま行けば、また違った印象を持つかもしれない。 最もディープな、大阪体験だった。 


目が遠くなる              [近藤 武]


 昭和39年、1964 年 東京オリンピックを前にして当時先端技術のマイクロ印刷を使った、縦横数センチかのスポーツの豆ルール集なるものがあった。 どこで手に入れたか、それを小学三年生の少年は、貪るように読んだ。 サッカーのコートは何メートル、重量挙げの体重クラス分けはどう。 

 少年はアリの巣を見ているのが好きで、当時 舗装の代わりに土の上に敷かれていた長方形のコンクリートの端から吹き出す、今でいえば顆粒の だしの素 の様な土粒に囲まれた アリの巣 を何時間も観察していた。 1 mm の中が軽く幾つかに分けられる分解能の視覚を、持っていた。

 そしてまた。 視力の検査は 2.0 をもって限界とする。 少年はこれに不満だった。 もっと下は無いのか? 遠視気味ですね、と言われた。 これが四十代になり突如、老眼に襲われる。 

       遠くまで見えた者から、目は遠くなる。


 3 : 100              [近藤 武]


 西のもたらした文化に、クラシック音楽とロックミュージックがある。 十八世紀から続いたクラシックのムーブメントが、1969 年に爆発した The Rock Music のムーブメントで結着したようだ。 クラシックのオーケストラと、たった三人のトリオで タメ線を張る。 生楽器であるドラムに合わせたオーケストレイションで、もう一つの生である声はヴォーカルアンプによって増幅されていた 1960年代なかごろ、これが成り立った。 P.A. (Public Address) が出てきて、ロックコンサートはクラシックのそれを凌駕するようになった。 

 これが可能になったのは、テクノロジーによる音の増幅が可能になっただけでなく、ビートが楽理に加わったからだ。 限られた人にしか体験できない、バンドがグルーヴした時のあのオーケストレイション。 タイムを味方にすれば、出してない音が聞こえ出し、空間を満たす。 俳句よろしく、最小限の人数で最大の表現を求める。

 三原色、三次元などと。 この世では、三が意味深に響くが。 The Rock Music 、それは三人から始まる。 

空気ばね と 動体視力              [近藤 武]


 少年の家は、線路沿いにあった。 小学校二年の時から与えられた三畳の部屋は、一番線路に近かった。 北側に位置する線路と家を隔てるのは、万年塀といわれたコンクリートの塀なのだが。 少年はそこに登ってまたがりながら、何時間も何分かおきに通る電車を見ていた。

 小学校三年、東京オリンピックの頃、空気ばねを採用した新車特急が走り出す。 重量挙げのバーベルのようなリングプレイの台車を、見逃すまいと速度に対抗した。 すぐに、乗ってる人の顔まで写真のように視覚に焼き付ける目線の使い方を、少年は会得する。  オイルダンパー、コイルばね、板ばね。 空気ばね。   

 マブチモーター              [近藤 武]


 昭和三十年代、少年たちはプラモデルに夢中だった。 多くは動かないものだったが、動くものは乾電池で回る小型の電気モーターを使っていた。  これが、マブチモーター。  手のひらに乗る、いくつかの大きさがあった。 

 回転軸のシャフトには、小さな歯車を取り付け。 ラックとピ二オンなどなど、ギアの世界も知る。  瓦みたいな二つの磁石も魅力だった。 近づけると、くるっと反転したり。 砂場の砂をかきまぜて、砂鉄を取ったり。


追記:
今日、モーターの原理は変わらないものの、小型で強力なものが出てきているようだ。 磁石が違う。 炭の粉を固めたようなつや消し黒から、光るメタル色になっている。

やれ ベーター だ VHS だ、DAT だ MD だと。 出ては消えていくメディアに比べれば、電池の 単三規格 がずっと続いているのはまっとうでありがたい事だけど。  電池の中身が、あまり変わりがない。 


参照:
≪ テレビ、スピーカー、電池。 ≫
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2011-05-08


 電車の冷房              [近藤 武]


 私鉄が十メートルも離れていないところを走っていた少年期だったので、鉄ファンの端くれである。 昭和の四十年代前半、西暦で六十年代後半。 中学に入ってその私鉄で通学し始めた頃、関東初の冷房車両が通勤電車に登場した。 集中型(車両にただ一つの、いわゆる室外機)と、分散型(数個に分けた室外機を屋根に載せたもの)が何編成か走り出し、ひどく興奮した。 冷房車両に乗れたら、大当たり。 空気ばね以来だ。 親父にもらった手帳に、四ケタの車両番号を書き込んだ。

 そんな頃。 地下鉄は冷房化できない。 室外機から出された熱はトンネル、ホームの、いずれ閉じた空間に溜まるから、そう言われていた。 もともと地下洞窟と同じように、夏涼しく冬暖かいとされた地下鉄らしいが、構造を覆うコンクリートはおおむね石と同じように熱をため込み暑くなる。 こんにち、もちろん地下鉄もすべて冷房化され、ホームの利用者がうだってしまわないのは、ホームを冷やす空調だ。 電車に乗ってしまえば、走行中ふんだんに地下トンネル内に熱をふりまいている車両に守られる。 その熱は都市の地上に、噴水のように吹き上がっているのだろう。 


追記:
現在人類が手に入れている熱交換は他の動力などと同じく、いまだひどく効率が悪く、必ずその副産物は熱になる。 だから過度に集中が高まった都市では、蛇が自分の尻尾に食らいつくような事になる。 温暖化に加えての、ヒートアイランド。 熱都市現象だ。 もちろん駅までの暑い道を歩き、車内の冷房に救われている。 与えられたものをほどほどに使わしてもらいながら、もっと前に進めと聞こえる。 


 四時間かかっていた、新幹線              [近藤 武]


 1964年10月初旬。 祖母とその田舎に帰るのに途中まで、出来立てほやほやの新幹線に乗った。 東京から新大阪までだったが、開通当初はしばらく三時間ではなくて、四時間かかっていた。 車内にはアナログの速度計があって、食い入るように見た覚えがある。 食堂車は無く、ビュッフェと呼ばれる車両があった。 食堂で座って悠長に食事などしている暇はないという事で、カウンター式の軽食を出すサービスだった。 電子レンジという、当時最先端の設備が備えられた。

 空気ばねは勿論の事、ATS を飛び越え ATC 。 架線は合成コンパウンド等と、日本中の少年が新幹線のオーソリティーだった。  日本では敗戦後、たった十九年で 「夢の超特急」 が実現し、アトムが産声を上げ、西洋ではビートルズが出現し、アメリカはベトナム本格介入直前である。 


追記:
通信衛星による放送や、有人地球周回飛行。 アポロ計画が始まった時期でもある。 宇宙時代、科学時代と。 人類は輝かしい明るい未来を、信じて疑わなかった。 


Sweet Caroline - スウィートキャロライン          [近藤 武]


 故・ジョンFケネディの遺児であるキャロライン女史が日本の次期大使と決定したというニュースを聞いたとき、頭の中で繰り返し流れて止めようがなかったのが、ニールダイアモンド (Neil Diamond) のスウィートキャロライン (Sweet Caroline) だった。  今日になって、この曲が本当にこのキャロラインについて歌ったものだと聞いて、不思議な感覚にとらわれている。

 1969 年、まだ中学生だったその頃から、AMラジオのヒットチャート番組に夢中だった。 円熟期のビートルズ、デビューしたてのエルトンジョン、レッドゼッペリン。 まだシュープリームスのダイアナロス、盲目の天才少年スティービーワンダー。 そしてシングルヒット専門の、エジソンライトハウスやらフライングマシーンやら。 さらにピンクフロイドの 「夢に消えるジュリア」 (Julia Dream) などまで。  60 年代から 70 年代 にかけて。 ビルボードに代表されるヒットチャートが、日本においても、このように幸せだった時代があるだろうか。

  そんな頃、ニールダイヤモンドの 「スウィートキャロライン」 がチャートの上位に食い込んだ。  すぐその後に、エルビスプレスリーがカバーするのを映画で見る。 アクション入りの、このライブバージョンも好きだった。 


追記:
米国が国としてやってきた事、やっている事、やろうとしている事については。 率直に言って、いろいろある。 しかし我々はアメリカの大好きなところ、中でもとりわけ 音楽 に関しては、あちらが思っている以上に思い入れがあり、それを生み出した背景、土壌に対して敬意を感じている。   新駐日米大使が、父の 「黒人の声をきく」 というテーマの次に、東洋の黄色人種の 「日本の声をきく」 という役割をもし担ってくれるのなら、うれしい。


参照:
≪ アメリカ と言えば ≫
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2010-05-17


血統書付のスピッツ              [近藤 武]


 犬と言えば、雑種だった。 ちらほら出だした金持ちが、血統書付の犬を飼うだけで。 日本の犬は、何とも言い難い姿形の雑種がほとんどだったのだ。 生まれる子犬は今のように犬種で姿が決まるのではなく、出たとこ勝負の見た目だった。 いまでは、外を出歩く猫にこれがまだ少し残っているだろうか。

 当時言われた事に、「純粋種は体が弱い、雑種は強い。」 というのがあった。 遺伝として、遠いところからの掛け合わせが優秀であるというのは、確かに広く知られた話だ。 人間のハーフは、美しく聡明であることが多いような気もする。

 東京オリンピックの頃の日本では、犬種の付いた犬としては。 スピッツ、ブルドッグ、シェパード。 しゃれたところで、せいぜいコッカスパニエル、プードル、ペキニーズぐらいではなかっただろうか。 最大の犬は、セントバーナード。 最小の犬は、チワワ。 少年マガジンやサンデーのページの端で、学んだ。

 和犬についての血統書は、闘犬用の犬あたりでないとあまり聞いた事が無いような気がする。 土佐犬、秋田犬など血統書付でうんぬんされたと思うが、柴犬はどうだろう。 ただ柴犬の雑種となると、巷にあふれていたのではないかと思われる。 日本人が飼う犬について考察してみれば、きっとなにか日本人について見えてくるものがあるだろう。


しょうがない              [近藤 武]


 1980 年代、アメリカ人のモデルの娘と知り合う機会があった。 日本に、言ってみれば出稼ぎに来ているモデルで、西麻布あたりに住んでいた。 彼女が、その何か月かの滞在でマネージャーの日本人女性に訊いても分からない、「 しょうがない 」 とはどういう意味かと問うた。 やや斜め上を向き ひじから開きながら 手のひらを上に向け “big deal” と言う事かと。 今にも増しての英語力不足で、答えかねた。

 言語はその民族のメンタリティーを表すから、しょうがない はアメリカ人には不可解だったのだろう。 しょうがないと一言つぶやけば、「水に流して」次に行ける。 日本人は、自然に対してだけは「しょうがない」と言い、その他の事にはしょうがないと言わない。 こうとでも彼女に言えれば良かったろうが、日本人は今もその時も「ながいものにはまかれろ」で説明がつかない。 相手は、自然のする事にも しょうがない と言いたくはない国で生まれ育っている。

 お偉い人は、霞が関か永田町の一室に 「しょうがないカウンター」 というのがあって、それを見ながら政治を行っているとギャグをかましてくれた。 日本中の人々がしょうがないとつぶやけばそのつど数字が上がっていく仕組みで、上がれば上がるほど彼らは機嫌がいい。 日本人はなにかにつけ口癖のように、 「しょうがない」 と言う。


追記:
同じ八十年代、ハワイ、L.A. 、とアメリカに行ったが、肥満の女性が多く(もちろん男性も)、きれいな白人女性は日本の青山や六本木、原宿あたりの方がよほど出くわした。 その娘とは、James Taylor (ジェイムステイラー)のところの Russ Kunkel (ラスカンケル)は、レコーディングで叩きっきりの とっ払 いなのか、印税契約しているかなどという話をした。 ウエスタンブーツのカントリールックが似合う、抜群の若き白人女性だった。 しょうがない。


参照:
≪ 08/7/1(火) 午前 3:46 [ お偉い人 ] ≫
http://oeraihito.blog.so-net.ne.jp/2009-07-21-5
≪ 07/7/7(土) 午前 0:02 [ お偉い人 ] ≫
http://oeraihito.blog.so-net.ne.jp/2009-07-05-5


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