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      礼儀をつくして、敬うべし。              [文化の日]



  地図を観て、その美しさに見とれる時がある。 
  海岸線の織りなす、美しいかたち。

  夕暮れに、木の枝の美しさに魅せられる事がある。 
  星空せまる空に、黒く浮き上がるかたち。

自然のやることには、うそがない。 礼儀をつくして、敬うべし。
 


 お詫び 広告


 報道番組を見ていると、東京電力の お詫び が流れてくる。

 「福島第一原子力発電所における事故により、発電所周辺地域の皆さまをはじめ、広く社会の皆さまに多大なご心配とご迷惑をおかけしていることを、心より深くお詫び申し上げます。 引き続き、全力を挙げて事態の収拾に取り組んでまいります。東京電力(株式会社)」

 字幕とアナウンスで、30秒のお詫び広告だ。 テレビ局に CM 収入があるのかと、やや思ってしまう。 思えばTVにとって 「でん子ちゃん」 TEPCO は大スポンサーだっただろう。 このようなお詫び広告は、原発事故とは一切関係ないバラエティーや、番組と番組の間に入れたらどうだろう。 そうすれば、また見直してしまって 東電に何も言っていないことや、後半をつかって東北電力の女川原発に疑問を呈している事が気になったりはしない。

注釈: このお詫び広告は、そのCM時間帯の最初に流されたので気がついた。




 震災義援金の行方              [才蔵]


 震災義援金について、ある部分どうしても拭い去れない疑問がある。 どこにどう使われているのかは、主催する側に委ねている。 税を始めとする公金とよく似た部分がある気がする。 薄く広く集めて、結果 巨額なものとなった金の使い道である。 

 義援金は何らかの Organization 格 が主体となっている。 集める名義が名義だけに、そうおかしな使い方をしているとは思わないが、どこにどう使ったか広く告知する義務はあるのではないか。 必要なところに直ちに届くことを、みな願っている。

 いくら集まりましただけで済む話とは思わない。 



自然への礼儀                          [文化の日]


 
   自然は時に絶望的なまでに厳しく。 
  しかし、恵みの全てを与えてくれる。 
 我々は この世に、仮住まいさせて貰っているのだと言う事を、
   常に言い聞かせる必要があると思う。  
 
     礼儀をつくして、敬うべし。



文化の日 http://bunkanohi.blog.so-net.ne.jp/ より




不安を和らげる


 被災者の皆さんの不安を和らげる努力はしてもらいたいが。 首都圏を含め、原発周辺住民の求めていることは、実態を細やかに知らせてもらう事ではないだろうか。 

 勝った、勝ったの大本営。 安全、安全の 保安院 。 旧日本軍と重ねて原発の安全について揶揄する書き込みを見たが。 我々の求めているものは 不安を和らげる 事ではなく、実態を知ることだ。 それがたとえ不安をつのらせるような実態であっても、我々はそれを受けとめる。 そしてその不安と怒りは、然るべきところへの批判となって昇華する。 

 これだけの目にあって我々が目覚めなければ、亡くなった方々に 申し訳がない。



 水素爆発


 専門家、キャスターがしたり顔で、水爆と間違えている人もいるようですが。 などと言っているのを聞いたが。 水素は最も軽い元素で、非常に酸素と反応しやすく爆発する事。 Led Zeppelin 1st Album を知ってる人なら、分かっている。

 何回か、TVの報道で。 福島第一原発の何号機だったか、水素爆発の様子を観た。 よくその瞬間をとらえたものだとも思う。 環になった衝撃波の次に爆発が起こる、強い大きなものだった。  この時、まだ軽い状態だった原子炉周辺の放射性物質が空気中に飛び散った。 素人は、ふとこう考えてしまう。



 あれから、離れない。              [苔の生すまで]



 どれだけの涙が流されたことか。
 いつの間にか原子力に支えられた私たちの文明が、 いかに陳腐でもろいものか。
 それが、あれから離れない。

 かけがえのない日本。
 我々が統治する、主権在民の国 日本。 



 民度の向上              [苔の生すまで]


 これだけの目にあって一歩踏み出せなければ、いつまでも二流の先進国のままだ。  誰かが考えるだろう、誰かがやるだろうではなく、 全ての日本人がみな一歩踏み出す。  すなわち、日本人の民度の向上だ。 

 これがその契機にならなければ、 亡くなった方々に申し訳がない。



陳腐な文明の象徴、日本の霞ヶ関。


 先祖伝来の土地に、いったいいつ帰れるのか分からない。 そんな人たちが居る。 福島第一原発 周辺住民の人たちだ。 我が基幹産業、農業、畜産に従事する人たちにとって大問題の事態になっている。 漁業の人たちしかり。 

 人が原子力をこのように使う事をもたらしたのは日本人ではないが、原子力をこのように使う実態を日本にもたらしたのは、まぎれもない日本の霞ヶ関である。 違うか?



 

核 エネルギー という果実              [文化の日]



 素人私見で大雑把に言って、19世紀までのいわゆる産業革命は化学の時代、20世紀は物理の時代ととらえている。 力学で言えばニュートン、日本で言えば江戸初期の話しになるが。 目の前で起こる物体の運動については精密に解き明かされていた。 ここで言う物理とは、量子力学、相対性理論、素粒子論らの事で。 その開花期、ルネサンスは日本でいえば明治末期から大正、昭和最初期のころ。 20世紀初頭のことだ。 アインシュタインが大活躍した。 

 その我々の外的部分、つまり物質界への知的好奇心は 核 というものをえぐり出した。 この量子力学・相対性理論に代表されるものの成果が、核兵器であり、原子力なのだ。 




 核 との因縁              [文化の日]


 1930年代というのは、なんとも人類にとっておかしな時代だったように思う。 昭和初期、関東軍が大活躍した頃。 ヒトラーが台頭し、電子顕微鏡、蛍光灯、一眼レフカメラ、ナイロン、LSD が登場した。 来るべき第二次世界大戦に向けて科学テクノロジーも総動員して備えているような機運だ。 

 知るだけで、このナチスドイツ、アメリカ、旧ソ連 そして日本が40年代に入り原爆の研究を進めた。 アインシュタインはナチスドイツが原爆製造に取り組んでいることを知りアメリカに原爆製造を進言したと聞く。 ヒトラーが原爆を手にするという悪夢のシナリオを、先手を取って阻止するために。 しかしナチスヒトラーは原爆製造に成功せず滅亡し、その後 原爆を完成させたアメリカは少しの躊躇も感じさせずに、広島・長崎の悪夢をもたらす。

 戦争というのは科学を進めると、敗戦を経験した日本人は言った。 1969年の気分で言えば。 なにも 核 まで行く必要はなかった。 人類史上初、原子爆弾を市民の日常の上に二度も落とされ、今回はこのような形で原発事故が起こる。 核と日本の、不思議な因縁を思う。 


追記:
1930 年代にはまた、 ジェット と ロケット が出ている。  2012.10.21


言わせていただく


 このような非常事態においては、この後ずっと変わらぬ発言として自信の持てる事だけを言っていたら、遅れてしまう。 後に内容について訂正の必要を感じたら、履歴の残る形での変更を試みる。 立方メートルを立法メートルと打ち違えたようなもの、表現の仕方を変えたものは、これに含まない。 どの分野の専門家でもない立場から、私心なく言わせていただきたいと思う。



放射能              [文化の日]



 放射能とは、放射線を放出する能力。 光に例える話がある。 放射能をあびるとは、光に照らされてしまうようなものらしい。 この光のもとである光源が 放射性物質というもので、これは物である。 放射性物質とは、放射線を放出する能力のある、つまり放射能を有する物質で。 放射線とは、アルファ、ガンマ、ベータ、エックスなどあり、なんなら光に変わりますよというくらいの極限の微粒子の放射であるらしい。 

 波でもあり粒子でもあるという、20世紀初頭 外方向性 知的好奇心の行きついた極地のど真ん中である。 



ギリシャ時代とアトム              [文化の日]


 アトムというのは遠くギリシャにその言葉の起源があると聞く。 物質を細かく分けて行き、もうこれ以上分けられないという究極の粒子として、アトムが提唱されたそうだ。 これが近年になって、原子を表す言葉として使われるようになった。 

 ギリシャ時代とはたいした時代で、哲学をあたり前にこなしながら、物理や幾何学などではこんにちまで定理や原理として教科書の一番はじめの方に記される程の成果をあげた超人が何人もいる。 この中のデモクリトスらが二千四百年ほども前、日本では弥生初期に、原子論をとなえた。 



 鉄腕アトムとウランちゃん              [箱根アフロディーテ]


 戦後の高度成長期に登場し、子供たちに圧倒的な人気をはくしていた 「鉄腕アトム」。 アトムの名前の由来は、彼が原子力をそのエネルギー源としていたからだ。 そして妹は、「ウランちゃん」。 このネーミングひとつを見ても、原子力が当時どれだけ肯定的なイメージでとらえられていたか分かる。 未来、科学という言葉に、みな酔っていた。

 鉄腕アトムの時代は、そのまま日本の原子力開発の時代とダブる。 いまの環境問題のはしりである公害がちらほら問題になっていたものの、みな 科学 技術 工業 の発展が、人間の未来を明るく照らすと信じて疑っていなかった。 夢の超特急・新幹線が開通し、東京オリンピックが開催され、1969年に向かって人類と科学テクノロジーの蜜月期、まっ盛りだ。 


 
注釈: 手塚治虫 について
 手塚治虫が素晴らしい漫画家であることは、誰もが知っている。 少年期にアトムを見て、原子力ではなくロボット研究に進んだ者も多いと聞く。 その他の作品にも彼の思想性、哲学が感じられ、日本漫画の偉大な第一人者という評価はいささかも変わらない。 
 個人的には、彼の創り出した 「ヒョウタンツギ」 というキャラクターが大好きだ。 よく授業のノートいっぱいに、増殖し続けるヒョウタンツギを落書きした。 これはいま、我々のかけがえのない血税が流れる太い血管にヒルのように吸い付いて増殖し続け、ぶどうの房のようになった無駄な税金と仕事の流れのイメージにもなっている。 




でん子ちゃんにメロメロの、地上波TV


 ネット上で、朝日ニュースターという有料TVの番組を目にした。 ここで青木理という人物が 「電力会社と知識人」 として、考えを述べていた。 まったくその通りと思った。 朝日は朝日でも地上波のテレビ朝日とはかなり突っ込みの度合いが違い、スポンサーの力、ひいては経済界の力とはかくも大きなものかと感じる。 地上波TVが恐がっているのは電力会社のことだけではなく、社会の強者のうちどこがどんな反応を示すか分からなくて怖いのではないかと思う。 本当に恐ろしいのは名も無き大衆なのだと、まだお分かりでないらしい。

 ここでも述べた通り、「でん子ちゃん」 に代表される東電の広告収入はTV局にとって大きなものだっただろう。 そしていまもまた、よくそんな金が使えるものだと思うが、 お詫び広告としてCM枠を買い上げ TV局の収益に貢献している。 スポンサーで成り立ち、それゆえに無料で見放題の地上波TV。 これでは、まともなジャーナリズムを期待するのは無理なのかもしれない。 いっそ、地上波TVは お笑い芸人のバラエティーに特化すればいいのではないかと思う。 パチンコ屋のようにしてしまえばいいのだ。 

 さて御用学者である。 無料で見放題、垂れ流しのTVを録画してみる人は少ないようなので、誰がいつどこでどんな事を言っていたか話題になることは少ない。 得意の専門分野でぺらぺらと知識を述べるが、東電や原子力行政に関わってきた者にとってたとえ不利益であろうとも、どれだけ深刻なことになっているのか分かり易く解説しようとした専門家が何人いただろうか。 

 今回の原発事故ほど、既存マスメディアとネット上の情報が異なる例も珍しいと思う。 ネット上ではよく見かけるのに地上波では見かけた記憶のない専門家に 小出裕章(こいで ひろあき)という学者がいる。 



第二の アトミック・ボム →  テレビ              [文化の日]



 日本のテレビメディアは 昭和28年(1953年)NHK が、また民放は同年半年ほど遅れて視聴料を取らずCM収入で商業として成り立つ形で、開放された。 GHQ 統治の終わった翌年からのことだ。 ここまでの慧眼をお持ちだったか定かではないが、米国の高官もしくは識者が TV メディアは第二のアトミックボムだと発言したと聞いた記憶がある。 以来、日本人の属性にもスポンとはまって、独特の形で大きくなったのが、在京および幾つかの在阪キー局と言える。

 むし返すが、ナチスでも解体されたと聞く戦時御用新聞メディアが、日本では臆面もなく看板そのままで戦後も存続した。 天皇、官僚機構(except 海軍省、陸軍省)、そして新聞メディアが、残された。 占領政策によってと、言っていいと思う。 その大新聞メディアがそれぞれ、全国ネットのTVメディアを持ちだした。 やがてTVメディアの方が大きくなり牧民は大成功したかに思われたが、インターネットの出現で、また不思議なことに天災もきっかけとなって。 思惑通りにも行かなくなっている。



参照:
《 敗戦とメディア 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2009-05-08




熊取六人衆              [おかしな帝王学]


 先述の青木理氏によれば、大阪・熊取にある 京都大学原子炉実験所に、原子力の研究をしながら、これは危険なので反対と主張する六人の研究者が居たらしい。 人呼んで、熊取六人衆だそうだ。 彼らは人事で冷遇され、いまは 小出裕章、今中哲二の二人になっていると言う。 見上げた研究者たちだと思う。

 古くは、科学技術庁マター。 いまは、文部・科学省マターかと思いきや。 いつの間にか原子力は、経済・産業省マターになっている。 放射能まみれの金が、飛びかっているという事だ。 バブルがはじけても、拝金主義をやめない日本。 その中で、電力会社と政、官と学。 原子力村と呼ばれるここだけを見ても、日本の真っ先に解決しなくてはならない問題が凝縮されている気がする。

 熊取六人衆は出世で差別されたらしい。 もう一度、言いたい。 いま日本社会で上に立つ者は、おかしな理由で出世している。 そんなケースが多いのだと思って間違いないと思う。 真っ当な事を言ったら、出世に響く。 社会的地位と、そして 金 が損なわれる。 なにも原発に関わっていなくとも、みなさん茶飯事として経験している事ではないだろうか。 経済至上主義が、おかしいのだ。 

 そしてこれは広く社会に行き渡った、美意識の問題ともつながる。 そんな事をして得た金は、矜持が許さない。 と言えば。 そんな貧乏で、矜持もへったくれもないだろう。 と鼻で笑う感性だ。 この感性が、日本をここまでおかしくした。


参照:
《 出世 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2008-07-18
《 かっこいいは、手ごわい。 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2010-11-07-2
《 世の中を動かす、美意識  》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2010-12-07



夏まで ワンクール



 すでに東電管内で、最高気温 25℃ を越す所が出て来ている。 これから季節は夏に向かって進んで行く。 計画停電が騒ぎになった時、早くも夏の電力が懸念された。 冬の電力需要はかつては石炭、石油に頼っていた暖房が、次々と電力に置き換わっていった影響があるが。 夏の冷房だけは出た当初から、電力に頼っている。 去年のような猛暑がないにしても、温暖化という下駄を履いた状態で夏を向かえる。 考えて、考え過ぎという事はないと思う。

 

 こたえよ、日本人              [苔の生すまで]



 核との因縁に、ため息をつく。  社会に不可欠な電力の、夏が来る。 政権交代してもなにも社会の大枠組みが変わらない、主権の問題がある。 日本人は、試されている。  自然、つまりは天。 神、仏 、、。 なんと呼んでもいい。 この世を主催する側から、問い掛けられている。




 知恵と工夫。              [苔の生すまで]



  おもいやり、細やかな感覚で物事にあたる。   実践をともなった仕事に、価値をおく。   礼儀正しく、勤勉である。    自然を、敬う。   わたし達の元々のありようを、取りもどしたい。     
    これに知恵と工夫で、一歩 進みたい。  




高濃度 放射能 汚染水 は、何シーベルトなのか。


 
 高濃度汚染水、この存在が福島第一原発二号機の建屋外で確認されたとき、その発表の会見において。  「千ミリシーベルト以上 でございます。」 「それはメーターが振り切れたという事ですか?」 「。。。。。えぇ、そっそうです。」   こんなやり取りの記憶がある。 これ以来、高濃度とされるだけで何シーベルトまで行ってるか、聞いた記憶がない。 まず、これは表面でどれだけのシーベルト値なのか、ベクレル値が聞けるならそれもおききしたい。 



車              [文化の日]

 

 人を物質的に観れば、動物、動く物だ。 その手足は、外に向かった好奇心によって得た果実、テクノロジーによって、車になった。 

 いつも車に乗って現れる人物が、たまに電車に徒歩でやって来ると、妙に貧相に見えてしまったりする事がある。 車を着ているのだ。 

 車がこの安全対策で人と同じ平面を移動している現状は、過渡期であると思いたい。 強い車が大きく譲り、足りないところは人を安全に隔離するかだ。 歩道橋のような発想は認めない。 車が先進国でこのように使われ出したのが、アメリカなどで早くても80年前。 まだまだ社会でのありようを見つける段階だと思う。 法人について、 Organization 格 というのを申し上げたが、車に乗っている人は車を着た 車人格 ととらえる。 法人と同じく、しっかりコントロールされるべきだ。 

 コンピューターと車は、人間がつくった機械の中でも特殊な好対照をなしている。 いずれこの二つは合わさって、人の日常を変えて行きそうな予感もある。    




日本の経済              [文化の日]



 日本を経済の面で見れば、戦前の経済規模は世界何位だっただろう? はっきりしているのは、なんとかそこそこの経済規模にしていたものの、完全に敗戦によって破壊された。 そしてそこからの経済の立ち上がりが、後に神話のように語られるだろう、日本の戦後復興だ。 

 1960年代の後半に、日本は世界第二位の経済規模となった。 工業生産力のおかげだと言っていい。 70年代日本は、世界最高品質の工業製品を誰もが買える値段で出した。 困ったのは、アメリカだった。 

 80年代、日本は何の自覚もなく。 お笑い軽薄短小、ひょうきんブーム、おにゃんこ、バブルの土地・株 高騰。。。  金と女で、骨抜きになっていた。 誰もが株や不動産の話しをし始めたころ、バブルが崩壊した。 その後、失われた十年と言われたが。 もう早、二十年だ。 ジャパン・アズ・ナンバーワン は、張りぼてだった。

 日本は東洋の国として、我々の経済のありかたを実践する義務がある。 80年代から、結局 踊り続けの日本人だが。 市場経済至上主義、自由主義貿易経済に対して、もちろん共産主義などではない、西洋の長所も生かした経済を、見つけていく役目が日本にはあるのだと思う。 


参照:
《 世界経済戦争 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2010-11-14



紳士的だった占領統治               [文化の日]



 無条件降伏の相手にしては、アメリカは日本に対して紳士的だった。 GHQによる戦後統治は、まれに見る成功をおさめた。 巨額の賠償金などという事はなかったが しかし、根元にくさびを打ち込んで行ったように思う。 こと経済においては、疎いという事があるはずが無かろう。 まだまだ吸い足りないと言っているように聞こえる。 日本人がいまも米国に隷属しているようだと思うところは、すべてその帰結ではないか。 それらはいまだ、日本を動かす力を持っているように思う。


追記:
今回の震災に際し、米軍のまさにサンダーバードのような支援活動には、感謝を申し上げたい。 しかし日本の根底にある問題を考えるとき、上述の事柄は指摘しておきたい。


 

アトム、日本のロボットはどこだ



 鉄腕アトムが泣いている。 原子力だけがこんなに大きくなって、肝心のロボットが我が日本ではどうなっているのか。 原発事故に際して、日本のロボットは総力を挙げて取り組むべきではないのか。 不幸にして、長期戦のようだ。 日本のロボットは、どうなってる?


鉄腕アトムとウランちゃん
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2011-04-13




いままで と いまみんな          [民主主義の原理運動]


 物事が起こることには必ず理由があり、この世で起こっている限り尊重すべきことなのだと思う。 おかしなことでも、ディフェンディング・チャンピオン(防衛王者)として、尊重するのが、大人としてのありかたなのだ。 因果・因縁というもので、いままでどうだったのか? ということが、力を持つ。 理不尽の源泉である。 

 民族は粘菌のようなものだと思う。 人類は社会を営む生物となった。 周りがどうか、気にする生物になったのだから Organization 格 の問題など、こうなるのも無理はない。 ありがたいことに、分かりやすい民族の統一性を特異に保った日本。 その目は、在京キー局およびほんの少数の在阪キー局のテレビメディアによって、いまみんなどうしているのか? ばかり気にするようになった。  

 泥棒にも三分の理、という。 まして、とりあえずはまともな社会人によって引き起こされている 社会的に認められている活動だ。 理のない訳がないだろう。 だから我々が米国に対する時に、紳士であることを忘れるべきでないことと同じように、官僚機構、政治、経済・産業界に対しても、紳士としてあい対したい。 これが我々の矜持だ。




Organization 格 と 出世         [民主主義の原理運動]


 Organization 格 があるからこそ、出世 というのがある。 差配が可能になる 出世 は、机上の仕事を主なものとするようになる。 現場は、法人格を与えられた法律上の人格を持つ Organization 格 と自然人、つまりは我々ひとりひとりとが交わる接点だ。 法の前で法人と相対するには、個人は余りに小さく弱い。 営利追求という Organization 格 が大手を振って歩いている、それがそもそもおかしい。 金儲けの為には多少のことはやるよみたいな、そんな個人ばかりの社会はろくでもない。 法人なら何故、それが許される? 法人が自らのありかたを変えないのなら、法が必要なのかもしれない。 

 まず出世の原則がおかしいと思う。 出世のトップ、CEOや社長・会長、次官・大臣になって出来ることは、 Organization 格 とまともに向き合えるという事だ。 そこに行くまで人事、まさに人の手でふさわしい人物を選ぶはずなのだが、そうなっているか。 確認だが、Organization 格 とは見えないものだ。 しかし働く人や物財によって、この世の存在となる。 
 これに人が支配されてないか。 


参照:
《 人格に対しての organization格 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2009-10-03



 津波被害の復興


 今回の震災では、地震の揺れそのものよりも津波による被害が圧倒的に大きかった。 認識していたつもりだったが、凄まじい破壊力に声が無い。 今回の経験をふまえ、津波がくれば危ないという地域を定め、その域内では津波が襲ってもすぐに上がれる、頑丈なコンクリート製シェルターを兼ねた五階建て以上の高さの建物を、必要数 建設するべきではないか。 またその域内に住む人は必ず高い所に別荘を持てれば、理想だ。 それが無理でも、大事なものは高い場所に保管する習慣があればいいと思う。 

 福島第一原発事故がその後あまりにおお事で、津波に遭われた本来の主役の方々が少し隠れてしまったかと感じる。 しかし、みな片時も忘れてはいない。 こんな時にいち早く我々の足をつけるところ、つまり床を整えるのが 「おした」 の仕事だろう。 行政に求められるのは、優れた床張り職人やカーペット職人のような仕事だ。 それを統御するのが、時の政権の役割りだ。 しっかりやっていただきたい。

参照:
《 おした 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2010-09-07



生活水準を下げたくない              [天成人後]


 やや時の人といった感もある、サンデル教授の番組を見た。 途中からだったが、今回の日本の震災を受けて、緊急に企画されたものに見えた。 ハーバード大学のあるボストン、中国の上海、東京を衛星で結んでの生討論形式で、テーマがタイムリーなので興味深かった。

 なかで、「原子力のリスクを最小限にして依存を続ける」 「生活水準を下げても原子力への依存を減らす」 のどちらに賛成かを問う質問があった。 驚いたのは、ボストンでは全員が前者で、上海、日本でも後者は少数派だった事だ。 要は生活水準の話しと受けた。 それを下げたくないと前者は言うらしい。 経済の問題だ。 我慢は惨めなことだと言うのか。 

 私見では、1970年以降はテクノロジーが与えるものを我々が選ぶ時代になったと考える。 人類とテクノロジーの蜜月期は60年代で幕を閉じた。 新しいもの、手に入れたものを全て最大限にとり込んで最善を得た時代は終わった。 原子力などは、その例の最たるものではないかと思う。 

 今回の事故が無くても、使用済み燃料廃棄物の処理を先送りにしたままで続けられる原子力発電は、自然への礼儀を重んずる考え方からは受け入れ難い。 廃棄物は、ただ閉じ込めて埋めるだけと聞いている。 これがこれからも続く 我々のあるべき文明の姿だろうか。 


参照:
《 我慢 》
http://okashina-teiougaku.blog.so-net.ne.jp/2010-12-20
 


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